それは何の変哲もない木の堅桟であった。桟を持って上下に動かそうとしたが動かない。よく見ると下の方に切込みがある。はてはと思ってその部分を揺すると右に回転した。すると堅桟はカタッと乾いた音を立てて下に落ちた。
中仙道木曾薮原宿。宿場入口に立つ明治初期の民家には立派な土蔵造りの座敷がある。それは座敷の縁側に立ててある雨戸で発見したのだった。
一般的に雨戸を開くために上下の猿を動かして行うことは、筆者のように少し古い人ならば知っている。上部の形がまるで猿が長い手を伸ばして枝からぶら下 がっているように見えることからこの名が付いたと聞く。台形の部材を横にスライドさせるだけの簡単な仕組みだが、今見ても面白い。
考えてみると、日本にはこのように木材を加工してつくったシンプルな開閉装置が多い。例えば昔の便所の開き扉を思い出す。細い横桟をスライドさせて便所に 入り、内側の横桟をスライドさせて内閉まりとなる親切なものだった。仕組みはいたって簡単で、桟の先端が枠に掘り込まれた穴に入るだけである。
引き戸用の開閉装置として珍しいものに、筆者が勝手に名付けた「回転板引戸閉まり」がある。これは四国の民家の勝手口で発見した。扉を閉めると引き戸に仕 込まれた小さな板が前方に飛び出して枠に当たって開かなくなる。開ける時はその板を押せばよいという簡単な仕組みである。板がなぜ前に飛び出すのかが不思 議で観察すると、単に板を吊る中心が前方にずれているだけという結論になり拍子抜けしたことを覚えている。
話 を戻そう。この木曾の民家で出会った猿は今までに紹介したどれよりも精密な仕組みのようだ。桟を押し上げると右に飛び出した板がカシャッと音を立てて元の 位置に戻り、まっすぐな桟の姿になる。あまりにもあっけなく、立ち会った我々は一瞬言葉を失ったほどだ。「これはもしかすると大発見か。」「いや、木曾で は当たり前のサルか。」とにかくスケッチと写真で記録してその場は終った。
事務所に戻って原寸図を起こしてみた。そうするとようやくその仕組みの基本はわかった。堅桟に仕込まれた板が回転して横になることで堅桟が下に降りるので ある。しかしいくつかの疑問点も残った。なぜ回転板の左下が斜めに削がれているのか、また右上が角のように尖っているのか。そこで回転板を切り抜いて図面 上で動かしてみた。左下の削ぎはすぐにわかった。こうしないと板の角が横桟に当たって回転しないのである。右上の角も同様で板が回転する時に堅桟に当たる からだ。しかし作図上ではこんなに角を高くしなくてもよいはず。ここで形の解明は暗礁に乗り上げた。「職人は無駄なことは絶対にやらない。すべての形に意 味がある。」この言葉を糧に数日間考えた末、ようやく解明することができた。この角が回転板を反対方向に回転さえないためのストッパーだった。
木曾の職人技を目の当たりにしたこの猿のカラクリ。原寸模型を作りたくてうずうずしているこの頃である。