所長のコラム < はじめに
 
2006年7月 「移築した酒蔵に住む」 (月刊「不動産流通」7月号)

明治21年に建てられた秋田県の酒蔵を鎌倉に移築して1年が過ぎました。現在その蔵の一部を借りて仕事場にしています。鎌倉に突然出現した大きな蔵は人目に付くようで、時々観光人力車が止まって若い車夫が説明しています。今冬干し柿を正面の扉の前に吊るしたところ、それを背景に記念写真を撮る人が絶えませんでした。そんな日常の中である日の夕方初老のご夫人がドアをノックしました。「この建物が建って本当に嬉しい。それだけを一言伝えたかった。」とおっしゃいます。せっかくなのでもう少しお話を聞くと「30年以上も鎌倉に住んでいるが今の鎌倉はどんどん昔の風景が消えていく。素適なお宅が突然解体されて更地になったかと思うと、駐車場になったりマンションになったり。そんな中で古い情緒のある建物が建ったことが嬉しかった。」その言葉はこの蔵の移築再生にかかわった者として心に響くものでした。今春鎌倉市が主催する「景観づくり賞」をこの蔵は受賞しましたがその選出理由にはこう書かれていました。「秋田より築 120年の酒蔵を移築して賃貸アパートとして再生利用している面白い試みです。建物前の植栽や空間が狭い道路に安心と潤いを与えています。」

蔵を移築してアパートにするという発想はこの土地をお持ちのT氏でした。氏は筆者が校長を務める「民家の学校」の受講生で、不動産管理業を営んでいる方です。この学校は9年前に発足したNPO 日本民家再生リサイクル協会が主宰する学校で、カラキュラムは民家の基礎知識から始まって民家を作る技術を含めた年8回の講座。夏には古い宿場町に合宿して昔ながらの囲炉裏とかまどを使った生活体験をしています。受講生は学生から初老の方までと年齢の幅が広く、彼らが力を合わせながら嬉々として煮炊きをするという不思議な光景が毎年繰り広げられます。なぜ今民家が注目され、こうして若者から高齢者までこの協会に参加するのでしょうか。色々聞いてみると若い世代にとっては民家に住んだ体験がほとんど無いけれども何となく郷愁をそそられるからという理由、中高年にとっては民家に住み、趣味を追求した暮らしを営むのが夢という理由が多いようです。実際筆者は現在30代の若い家族と50代のご夫婦の為に民家を二棟移築しています。

蔵を移築してアパートにしたいというT氏の提案に最初は驚きましたが話を聞くうちにこの事業が決して無謀なことでは無いことが分かりました。T氏はこの蔵の価値は時の経過と共に高くなることを見抜いたのです。現代の建築は新築した時に一定の性能を持っていても時の経過と共に低下してしまうのが普通。賃貸住宅を経営する時に一番の悩みはそれによる家賃の低下だと言います。建築側から見ても木造の耐久性は今まで不当に低く見られていたと感じます。 RC造が50年、木造が30年というのが通例ですが誰が木造を30年としたのでしょう。我が国は築 1310年、世界最古の木造建築である法隆寺を持っているのです。住宅の建替えサイクルが英国で約120年、日本では23年という統計が出ています。その英国を数年前訪れて古い木造民家が多いロンドンの西方コッツウォール地方に行きました。町の不動産業者の店先に掲示されている情報を見て驚きました。築年数が古い家が付いた土地ほど価格が高いのです。中には築400年という家もありました。そのような古い家に住みながら修繕し、美しくしてまた転売すると言います。古いものを大事にするということが価値を産むことを英国人は知っているのです。

秋田からはるばる鎌倉に来た蔵はこの土地で新たな命を授けられ、かの地で生きてきた年数と同じようにまた120年の時を刻むことでしょう。22世紀の鎌倉でこの蔵だけが生き延びていることの無いことを望みたいものです。

 
2005年9月 「落水荘」 (建築とまちづくり No.336)

旅のきっかけは学友のO君の死であった。彼は若いとき米国を数ヶ月間車で周遊した。帰国して彼は最も感銘を受けた建築としてフランク・ロイド・ライトのカウフマン邸、いわゆる「落水荘」をあげた。彼の喪失を人一倍悲しんだ同じ学友のK君を旅に誘ったのは私の方からであった。「彼の追悼を落水荘でしないか?」。

旅の計画は2003年5月17日のシカゴを中心とした日程で組まれた。その日は年に一度のライトデイ。オークパークという町に点在するライトの住宅が内部も含めて見学できる“美味しい”日なのである。

町に入ると通りに机を出して子どもたちがジュースを販売したり、ライトの等身大写真の横で記念撮影ができたりとお祭り気分。アメリカ生まれの建築家としてライトが人々にいかに愛されているかという一端を垣間見る思いがした。見学の案内は各部屋に配置されたボランティアガイドが行うが、驚いたことに中学生ぐらいの男の子もいて立派に説明している。部屋は住人が寝起きのまま出かけたような有り様で、開けっぴろげなアメリカ人気質そのままである。こちらではライトの住宅に住むこと自体がステータスを現していると言われるが、こうして一日我が家を開放すること自体を楽しんでいるように見える。

目指す落水荘はシカゴから飛行機で一時間ほどのペンシルバニア州ピッツバーグから車で2時間ほど山に入ったところにある。通り過ごしそうな小さな案内板に従って左折して森を進むとビジターセンターが見えてきた。我々は事前に予約を入れていた特別ツアーに参加した。これは一人40ドルと高いが、一般ツアーの始まる前なのでゆっくり見学できて写真撮影も可能なのだ。

ガイドがの女性と森を歩き始めるが、なかなかあの光景が見えてこない。ようやく右手に白い橋が見えてきた。はやる心を抑えながらゆっくりと橋の上に立つ。手摺から正面を見る。重なる白い箱が川の上に浮遊している、写真で何回となく見てきた光景が眼前に広がった。K君と私はおもわず握手をした。彼はふところから亡きO君の遺影を取り出して言った。「遂に君の愛する建築に会えたよ」。こうして私たちの感傷的な落水荘見学が始まったのである。

玄関から居間に入る。カウフマン氏が昼寝をした滝の上の大岩は暖炉の前に横たわり、私たちを迎えてくれた。室内の空間が一つはテラスに、もう一つは水辺に降りる階段へと流れるように連続する。流れ落ちるのは水だけではないのだ。その階段の水平引戸のディテールに目を見張り、キッチンではコーナー窓の革新性に驚くのは建築家の性か。それにしてもこの建築はどこから眺めても美しく、あっという間に時間が過ぎていく。

建物を離れて再び橋を渡って対岸の森を歩いて滝の下へ降りた。誰もが記念写真を撮るそこで、私は小さな野帖を開いてスケッチを始めた。滝の音を耳にしながら鉛筆を動かすとようやく心が落ち着いてきた。大地の創造力を建築に昇華したライトの傑作、落水荘。建築をやっていて本当に良かったと思えた時間だった。

「O君、ありがとう」。
 
2005年8月 「猿のカラクリ」 (建築とまちづくり No.335)

それは何の変哲もない木の堅桟であった。桟を持って上下に動かそうとしたが動かない。よく見ると下の方に切込みがある。はてはと思ってその部分を揺すると右に回転した。すると堅桟はカタッと乾いた音を立てて下に落ちた。

中仙道木曾薮原宿。宿場入口に立つ明治初期の民家には立派な土蔵造りの座敷がある。それは座敷の縁側に立ててある雨戸で発見したのだった。

一般的に雨戸を開くために上下の猿を動かして行うことは、筆者のように少し古い人ならば知っている。上部の形がまるで猿が長い手を伸ばして枝からぶら下がっているように見えることからこの名が付いたと聞く。台形の部材を横にスライドさせるだけの簡単な仕組みだが、今見ても面白い。

考えてみると、日本にはこのように木材を加工してつくったシンプルな開閉装置が多い。例えば昔の便所の開き扉を思い出す。細い横桟をスライドさせて便所に入り、内側の横桟をスライドさせて内閉まりとなる親切なものだった。仕組みはいたって簡単で、桟の先端が枠に掘り込まれた穴に入るだけである。

引き戸用の開閉装置として珍しいものに、筆者が勝手に名付けた「回転板引戸閉まり」がある。これは四国の民家の勝手口で発見した。扉を閉めると引き戸に仕込まれた小さな板が前方に飛び出して枠に当たって開かなくなる。開ける時はその板を押せばよいという簡単な仕組みである。板がなぜ前に飛び出すのかが不思議で観察すると、単に板を吊る中心が前方にずれているだけという結論になり拍子抜けしたことを覚えている。

話を戻そう。この木曾の民家で出会った猿は今までに紹介したどれよりも精密な仕組みのようだ。桟を押し上げると右に飛び出した板がカシャッと音を立てて元の位置に戻り、まっすぐな桟の姿になる。あまりにもあっけなく、立ち会った我々は一瞬言葉を失ったほどだ。「これはもしかすると大発見か。」「いや、木曾では当たり前のサルか。」とにかくスケッチと写真で記録してその場は終った。

事務所に戻って原寸図を起こしてみた。そうするとようやくその仕組みの基本はわかった。堅桟に仕込まれた板が回転して横になることで堅桟が下に降りるのである。しかしいくつかの疑問点も残った。なぜ回転板の左下が斜めに削がれているのか、また右上が角のように尖っているのか。そこで回転板を切り抜いて図面上で動かしてみた。左下の削ぎはすぐにわかった。こうしないと板の角が横桟に当たって回転しないのである。右上の角も同様で板が回転する時に堅桟に当たるからだ。しかし作図上ではこんなに角を高くしなくてもよいはず。ここで形の解明は暗礁に乗り上げた。「職人は無駄なことは絶対にやらない。すべての形に意味がある。」この言葉を糧に数日間考えた末、ようやく解明することができた。この角が回転板を反対方向に回転さえないためのストッパーだった。

木曾の職人技を目の当たりにしたこの猿のカラクリ。原寸模型を作りたくてうずうずしているこの頃である。
 
2005年7月 「不思議な穴」 (建築とまちづくり No.334)

旅の楽しみと言えば、普段は見かけない不思議な物や光景に出遭う時だ。4年前英国を旅した時に気になったのがスケッチにあるような穴の連続であった。一つは石壁に取り付けられた木製の箱に開けられた穴、もう一つは倉庫かガレージの妻側に開けられた穴である。

前者は鳥の巣箱かなと直感した。しかしよく観察すると、扉に穴の開いたものと開かないものがあるのが不思議だ。また、巣箱にしては2階建て13戸と高密度な集合住宅で、しかも2階右端の一戸だけ大きいタイプがあるのもおかしい。さらにこの奇妙な箱の上部には、いかにも象徴的な窓が屋根裏から突き出している。これらの観察を総合して結論を出そうと試みるが、我が灰色の脳味噌では単なる巣箱以上の画期的結論が浮かび上がらない。

後者のものは穴の形が興味深い。上端が尖ったイスラム風アーチなのだ。そしてこの総計17個の穴の開いた石はほとんど同じ形の石あるいはコンクリートである。すなわちある程度一般化されたものであることがわかる。そうなるとこの地方の農産業に関係のあるものかと考えるが、すぐには思いつかない。穴の前にはわざわざ石を跳ね出した棚が連続している。鳥が羽を休めるための棚と考えるのが自然のような気がする。これを鳥小屋、例えば鳩小屋と考えてみよう。そうするとこの小屋の屋根裏空間はすべて鳩の住居ということなのか?

ところで、我が国でも屋上や屋根上に鳩を飼っている家を見たことがある。伝書鳩として飼育したり、レースに出場させるという人から、単に空に鳩を放って楽しむという人までいる。英国で鳩レースが盛んという情報があればすぐに結論を出すのだが、今のところそれは無い。食用としての鳩だろうか?フランス料理のメニューには鳩が並んでいるし、実際食べたこともある。淡白で癖の無い美味しい肉である。しかし英国料理のメニューで鳩は見たことがない。こうして私の灰色脳細胞は思考停止に陥る。

再びこの倉庫の外観を見る。整然と左右対称に開けられた穴。この穴からちょっと何かが顔を出してくれれば一瞬にして結論が出る。しかし忙しい旅の途中でここに長く立ち止まることは許されない。解決の見えないままに次の場所に移動することになる。そして不思議な穴は記憶の中で永遠の疑問のままに残る。そして次の旅で同じような穴を見つけるのがまた楽しみとなる。

だから旅は止められない。
 

これまでのコラムはこちら
 

〒248-0011
神奈川県鎌倉市扇ガ谷1-10-6 結の蔵 壱
TEL:0467-61-3013
FAX:0467-61-3053
E-mail:mail@o-sekkei.com
URL:http://www.o-sekkei.com/