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| 民家現地再生 旧水田家住宅 < O設計室の仕事 < はじめに |
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| 民家現地再生 旧水田家住宅(文化庁 登録有形文化財) 千葉県 2002年 |
構 造:伝統木構造
敷地面積:2582u
建築面積:母屋 155u 長屋門 89u
延床面積:母屋 108.1u 長屋門 59u
設計監理:O設計室
施 工:大林組 |
| 国の登録有形文化財に指定された政治家 故 水田三喜男氏の生家。竹林の中に、優しい稜線を持つ茅葺屋根の母屋、構造の美しい長屋門を再生し、房総の特徴である民家を蘇らせた。 |
旧水田家が存する旧曽呂村(鴨川市)は、嶺岡山脈の南麓を東から西へ通じる道を中心とした500戸余りの山村であり、嶺岡山は、わが国酪農の発祥地として知られている。
江戸時代からこのあたりでは毎年5月、大変なにぎわいの中、馬捕りの行事が行なわれており、そこに幕府の役人が来て牛馬を見定めする場所を陣屋と称したが、庄屋のような役割を果たし、村の指導的立場にあった水田家は、この陣屋と地続きになっていた。また、江戸後期につくられたこの家は、大正12年の関東大震災でも近隣の建物がほとんど崩壊した中、残ったのであった。
水田家は、400年以上前に四国讃岐から移ってきたものといわれている。明治中頃の水田家当主水田竹蔵は、英国から初めて輸入されたホルスタイン種牡牛を飼育したことによって、酪農史にその名を残している。塾に学んで帰った当時の新知識人であり、初代の戸長、村長として信望をあつめていた。その息子信太郎も村長をつとめ、その在任中、県下にさきがけて村内の学校数校を1校に統合、近代校舎を建て、村の教育に貢献した。信太郎には6男2女が生まれたが、男兄弟だけでなく姉妹2人を含む8人全員がその当時の高等教育を受け、この山村から中央に出て、財界・政界・教育界で活躍したのであった。そのなかの3男が、京都大学法学部で学び、のちの通産大臣や大蔵大臣を歴任し、城西大学を創立した水田三喜男であり、ここで生まれ、安房中学までを過ごした。
「旧水田家住宅」パンフレットから抜粋 |
母屋は桁行15.8m、梁間11.1m規模の寄棟造・平入りのもと茅葺農家で、東側を土間とし、床上は囲炉裏を切った15畳の座敷を中心に食違いの5室構成である。西側に縁側、南面には瓦葺の下屋を差し掛けるなど房総民家の特色を持つ。建設年代は江戸後期と推測される。(登録有形文化財第12-0042号)
長屋門は桁行16.4m、梁間5.5m規模の寄棟造・桟瓦葺、出桁造の建物で、全体的に太い材が使用され、正面右1室と左2室を牛小屋とする点に特徴がある。江戸時代以来の酪農地である嶺岡牧場の歴史を伝える建造物として貴重である。建設年代は母屋と同時期か明治初期と推測される。(登録有形文化財第12-0043号)
「旧水田家住宅」パンフレットから抜粋
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