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| 「結の蔵」について < O設計室の仕事 < はじめに |
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明治21年築の秋田県の酒蔵が、古都鎌倉に移築されて賃貸住宅として新たな歩みを始めた。2年がかりのこの移築には、多くの日本民家再生リサイクル協会(JMRA)会員がボランティアでかかわった。
「結の蔵」は、その善意を永久に残したいとの想いで命名された。
現在、結の蔵の一部を0設計室の事務所として使用している。 |
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結の蔵はもともと、秋田県湯沢市の銘酒「小野之里」で著名な高久酒造の酒蔵であった。移築前の蔵から発見された棟札には明治21年と記されており、大正14年の湯沢市大火や地震、風雪に1世紀以上耐えてきた蔵であった。
2尺(60p)間隔に並んだ5寸(15p)角の栗やヒノキの柱、長さが10間(18m)もある1本物の杉丸太の棟など、構造は雄大であり状態もよかった。さらに大火から蔵を守った厚さ1尺(30p)の土壁や、3か所の巨大な戸前(蔵戸)の仕上げも見事であった。座敷になっていた部分に使われていた漆塗りの格子戸も、精緻なデザインで魅力的だった。 |
高久酒造現当主の高久正吉氏は、蔵の周りにビルが立ち並び、蔵を存続するための周辺環境が悪くなったことから解体を決意した。しかし、貴重な蔵を廃棄するのは忍びなく、山形県羽黒町で民家再生を手掛けるJMRA会員の渡部喜美雄氏に相談した。
渡部氏はJMRAを通して貰い手を探し始めた。話を聞いた会員の大沢匠氏は、以前から神奈川県鎌倉市に蔵を移築して賃貸住宅を作ることを希望していた会員の田中芳郎氏に連絡し、一緒に湯沢市へ赴いた。2人はひと目でこの蔵の素晴らしさに感動し、渡部氏を介して高久氏と交渉し、引渡し契約が結ばれた。 |
2002年末から大沢氏の主宰する0設計室によって再生計画が始まり、2003年2月に蔵の詳細調査を行った。4月中旬から解体工事が始まり、5月連休にはJMRA主催の「酒蔵解体ワークショップ」を開催した。東北、関東から参加した52人がツルハシを手に壁、屋根の土と格闘した。併せて戸前の解体も実施し、壁・戸前の構造を知るよい機会となった。
解体終了後、棟木と戸前の搬出は人通りの少ない朝方に行った。柱につけたまま梱包して取り外した戸前は、総重量が4.3トンであった(写真)。解体工事は5月末に完了し、搬出された基礎の石や木材、土は山形県余目町に運ばれ、再生の時を待つことになった。 |
工事は上棟までの木工事を渡部工業が、その他の工事を鎌倉市の斉藤建設(JMRA会員)が担当することとなり、2004年春に地鎮祭、基礎工事が行われ、山形では木材の加工に取り掛かった。
部材の輸送、特に長さ18mの棟木(写真)と幅3.6mの戸前の運搬については、当初から難題が予想された。担当した山形県余目町の石川國男氏は、鎌倉に出向き道路事情を視察し、輸送計画を立てた。4月19日夕方、木材は大型車3台に積まれ余目を出発し、一般国道経由で翌日早朝に鎌倉の斉藤建設のストックヤードに到着した。棟木は22日早朝、棟上げ前の現場に搬入。戸前は同じ日にトレーラーで余目を出発し、翌日鎌倉に到着した。 |
 
4月28日早朝4時、戸前を現場に搬入。クレーン車で建て方の進んでいる蔵の正面へ下ろされた(左写真)。ピタリと収まり、一同胸を撫で下ろした。建て方は、梁材はねじれや反りが少ない杉材だったので順調に進んだが、柱はねじれていて通し貫がうまく貫穴に通らず難儀をした。棟木は予想より簡単に載り、内掛け(垂木)、野地板張りと進んだ。ここまでは、全て既存の部材である。その後、上屋根を新規材で組み、野地板を張って上棟式を迎えた。
2004年5月19日吉日。上棟式は渡部工業の地元である庄内地方の形式で執り行われた(右写真)。このような伝統的な上棟式は鎌倉でも珍しく、地元ケーブルテレビの取材を受けながらの式典となった。棟をゲンノウで叩く音や、屋根から投げる餅を受ける人々の歓声が新緑の鎌倉市扇ガ谷に響きわたった。
斉藤建設にバトンタッチされた再生工事は屋根、外部木工事の後、湯河原市の長田左官による土壁工事に引き継がれた。
その間、前年11月に実施した「竹刈りワークショップ」で刈り取った真竹を藁縄で結び、そこに泥団子を付ける「竹小舞かき・土壁ワークショップ」を6月に実施した。その泥は、前年の9月に藤沢市で実施した「土練りワークショップ」で、多くの人たちが文字通り“手と足”で練り上げた土である。1世紀以上前の土が、こうして新たな命を得たのである。 |
再生工事はその後、内部の造作、設備工事と進んだ。一方左官工事は平行して内部の土壁仕上げ、外部の漆喰仕上げと進んでいった。元の蔵の外壁は土壁であったが再生では腰が下見板張り、上部を漆喰仕上げとした。艶やかに光る白い漆喰壁の仕上げが終わり足場がなくなると、蔵はもともとこの地にあったかのように落ち着いた風情となった。
2004年11月末、再生工事は一部の工事を残して完成。落成式には秋田県から元の持ち主である高久氏も列席して、盛大に行われた。「立派に再生されて先祖に申し訳がたった」と挨拶する高久氏の言葉が印象的であった。
年が改まって2005年。2月には最後の工事である正面の戸前の修繕と2階の窓の仕上げが始まった。左官工事でも最も難しいとされる戸前の「磨き漆喰」は白漆喰が乾かぬうちに黒のノロ(炭を練り込んだ漆喰)を薄く塗って、最後は手で磨き上げていく。2階の窓は「大津磨き」の手法で、土そのままの色で微妙な陰翳を持つ磨き仕上げとなっている(写真)。いずれの技術も使う人がいなければ廃れてしまうものである。ベテランの左官職人法月氏と一緒にコテを当てる若い職人の姿に、伝統技術の継承を見ることができた。
2005年3月。調査から約2年の月日が流れて、酒蔵は鎌倉で甦った。 |
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