再生工事はその後、内部の造作、設備工事と進んだ。一方左官工事は平行して内部の土壁仕上げ、外部の漆喰仕上げと進んでいった。元の蔵の外壁は土壁であったが再生では腰が下見板張り、上部を漆喰仕上げとした。艶やかに光る白い漆喰壁の仕上げが終わり足場がなくなると、蔵はもともとこの地にあったかのように落ち着いた風情となった。
2004年11月末、再生工事は一部の工事を残して完成。落成式には秋田県から元の持ち主である高久氏も列席して、盛大に行われた。「立派に再生されて先祖に申し訳がたった」と挨拶する高久氏の言葉が印象的であった。
年が改まって2005年。2月には最後の工事である正面の戸前の修繕と2階の窓の仕上げが始まった。左官工事でも最も難しいとされる戸前の「磨き漆喰」は白漆喰が乾かぬうちに黒のノロ(炭を練り込んだ漆喰)を薄く塗って、最後は手で磨き上げていく。2階の窓は「大津磨き」の手法で、土そのままの色で微妙な陰翳を持つ磨き仕上げとなっている(写真)。いずれの技術も使う人がいなければ廃れてしまうものである。ベテランの左官職人法月氏と一緒にコテを当てる若い職人の姿に、伝統技術の継承を見ることができた。
2005年3月。調査から約2年の月日が流れて、酒蔵は鎌倉で甦った。 |