2004 年 12 月 1 日

「土蔵の解体」 (建築とまちづくり No.328)

民家再生:土蔵の解体スケッチ高さ5m、長さ20m。土の壁はまるで城壁のようにそびえていた。ゴーグルと防塵マスクを着けて大きなバールを両手で握る。力まかせにドスンと壁に突き刺すと表面の土が少し剥がれ落ちた。

秋田県湯沢市。駅前商店街の一角の解体現場に集まった人は子供から大人まで総勢50人あまり。「土壁解体ワークショップ」と銘打ったこのイベントは蔵の移 築にともなう一連の工事を体験してもらおうと企画したものだ。作業を始める前にこの蔵の持ち主に由来を話していただく。

明治21年の棟札のあるこの蔵は酒の仕込蔵として建てられたが、その後一部に客座敷をつくり、近年は残りの部分を倉庫として使用してきた。その間、大正 14年の湯沢市大火災は市内中心部を焼き尽くし、多くの土蔵も灰になったが、この酒蔵だけは焼け残った。また、新潟沖地震では壁に亀裂が入った程度で事な きを得た。先祖の自慢は狭い間隔で立つ柱がほとんど栗材であること、長さ10間(18m)もある長くて太い棟木、合計3ヵ所の大きな戸前(防火戸)だった とのことである。

厚さ30mもある土壁の内部がようやく露わになってきた。ところが壁の下地である小舞の竹が出てこない。一般に土蔵は丸竹を縦横に編んで小舞をつくるが、 見えるのは細い木の丸太ばかり。縦には直径3㎝ほどの樫材と思われる丸太。表面は丁寧に刃物で皮をむいている。横は皮付きの雑木。その丸太同士を結束して いる縄は見慣れた藁ではなく黒い木の繊維である。一緒に解体を手伝っている左官職人に聞くと「わらび縄」ではないかと言う。わらびの根でつくるらしい。同 じ土蔵でも地方によってこうも材料が違うものかと改めて民家の奥の深さを知る。

屋根解体チームも土と格闘している。厚さ18㎝の土が屋根全体に載っているのだ。硬く締まった土は簡単にスコップですくえない。遂に道路工事で使う電動ブ レーカーを持ち出すことになった。崩した土は1立米の袋に入れて屋根に並べていく。後の報告によれば最終的にこの蔵から出た土は屋根と壁の合計で100立 米以上という。今回の移築に際してはそのうち10立米を土壁として再生使用することにした。

土と2日間格闘して考えた。土蔵は土による耐火建築なのだ。その耐火性能は壁から屋根へと連続する土に包まれていることによって保証される。その構造は膨 大な土の重量を支えることが目的となる。柱と同じ断面の太い垂木が屋根の土を支え、その重さが密に立った通し柱を経て土台に達する。壁土の重量は土台だけ でなく基礎石にも直接伝わる。左官職人に求められるのは厚い土壁をその構造体に緊結することである。小舞を芯にして何度も塗り重ねる土は縦縄、横縄などで 一体化させる。昔は最初の「荒打ち」から「上塗り」まで17工程、数年の工事期間が当たり前だったという。

次回は土蔵の左官工事でも最も難しいと言われる戸前について報告することにしよう。

カテゴリー: 所長日記 — yutaka @ 11:47 PM