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民家再生とは

O設計室の手掛ける民家再生には次の3つのジャンルがあります。

  1. 民家現地再生:
    民家を移動せずにその場所で再生する。

    実際の工事は簡単な内装のリフォーム程度から建物をすべて解体する大規模なものまであります。O設計室が最近手掛ける現地再生では建物をそのまま地上2mほど持ち上げて新たな基礎を作り、傷んだ柱などの部材を交換してその民家の耐久性、耐震性を増す工事が多くなっています。もちろんその機会に内装や台所,浴室などの水周りのリフォームや断熱化によって快適性を増す工事をします。
    民家現地再生1民家現地再生2民家現地再生3民家現地再生4

  2. 民家移築再生:
    解体した民家の構造体や部材を使用して新たな土地で再生する。

    O設計室が最近手掛ける移築再生ではご主人の実家の建物を移築して定年後の住宅に、あるいは「民家バンク」(日本民家再生リサイクル協会の制度)に登録されている民家を譲り受けて住宅にするケースが多くなっています。 現地再生では難しい大規模な構造の改変によって現代の生活に合わせた住まいが可能になりますがその反面現行法規に準拠する必要があり制約も出てきます。
    民家移築再生民家移築再生民家移築再生民家移築再生

  3. 古材利用:
    解体された古材を新築住宅やマンション、店舗などに利用する。

    立派なケヤキの大黒柱や松梁、板戸、床材。現在では手に入らない材料や手仕事の痕跡など古材には時間が創り出した味わいがあります。新しい空間に古材が入ると両者が響き合う魅力的な空間になることがあります。
    古材利用古材利用2古材利用3古材利用4

現地再生の実例

桜山の家(神奈川県逗子市)

民家移築再生:醍醐邸元は明治期の民家でしたが戦後同じ土地の中で曳家(建物をそのままレールに乗せて動かすこと)した際にブロックの基礎の上に乗せてありました。その基礎を含めて建物の耐震性に不安を持った建主の相談から始まった工事でした。 工事はそのブロックに抱かせるようにコンクリートの基礎を新たに作りそれに土台や柱を緊結することで耐震性を確保しました。また計算により壁の筋交いが不足していることが分かり部分的に壁を壊して新たな筋交いを入れました。またこれを機会に水周りの改修や外部の化粧直しを行いました。

『桜山の家』のより詳しいご紹介をこちらのページでご覧になれます。

つくばの家(茨城県つくば市)

民家移築再生:醍醐邸農村地域に建つ明治期の典型的な「田の字型」と呼ばれる民家です。 築100年を迎えるに当たり御当主は耐震性を確保しながら現代の暮らしに合わせた形にして次の世代に残せるような再生を望まれました。

O設計室の調査により床下の構造が弱いことや湿気対策が必要であることが分かりました。工事はまず基礎を大々的に改変する為に建物を地上に持ち上げるジャッキアップから始まりました。その間に大黒柱など白蟻によって腐朽していた柱を根継という伝統的な方法でつないだり新たな土台を入れたりする大工工事をしました。

室内の環境改善の為に可能な箇所には断熱材を入れ、土間に薪ストーブを置いて暖かい家を目指しましたが、特に高気密高断熱住宅にはしませんでした。ある程度のすきま風は伝統的な民家にとって重要だと思うからです。

移築再生の実例

腰越の家

民家移築再生:醍醐邸東京都北区に残っていた典型的な「田の字型」民家。北区十条に江戸期から10代以上続く醍醐邸の主屋で明治32年の建築、大きな改変も無く大事に使われてきた建物でした。日本民家再生リサイクル協会の「民家バンク」に登録されたこの民家の譲り受けを申し出たのはまだ30代のご夫婦でした。

早 速土地探しを始めて最終的に見つけたのは海に近い鎌倉市腰越。再生工事の方針は「田の字型」の間取りを尊重し元の外 観を残すこと。現代住宅としての最低限の機能は付加するが過大な冷暖房設備は設けないこと。鎌倉の豊かな自然と気侯を生かすことの3点でした。

解体してから一年半後の平成19年秋、醍醐邸は鎌倉に移築され、4人家族の住宅としてスタートしました。 なおこの移築再生の全過程を映像化したDVD『醍醐邸から奥村邸へ』をO設計室で製作販売しています。

『腰越の家』のより詳しいご紹介をこちらのページでご覧になれます。

紅葉谷の家(鎌倉市二階堂)

紅葉谷の家(鎌倉市二階堂)元の家は奥様のご実家が所有していた横須賀市秋谷にあった別荘。遺産相続で解体される運命にあった時にO設計室に相談にお見えになりました。「こんな粗末な民家でも移築する価値がありますか?」というのが最初の言葉でした。

早速拝見すると確かに部材は細く特別に立派な民家ではありません。しかし南と東に縁側が回る昔ながらの佇まい、障子や板戸は現代の住まいには求められない質を持っていました。移築は可能でありその価値が十分あることをお話ししてこのプロジェクトはスタートしました。

思い出の民家は鎌倉で再生され庭園工事も引き続き行われました。新たに建てられた門を潜って庭を見ながら玄関に入ると昔と変わらない縁側が我々を迎えてくれます。3年経った今ではこの土地に前からあった建物のように見えるようになりました。

紅葉谷の家のより詳しいご紹介をこちらのページでご覧になれます。

浄明寺の家(鎌倉市浄明寺)

定年退職後に鎌倉に住みたい。しかも民家を移築して。というのが建主の長い夢でした。O設計室がご紹介したのは山形県鶴岡市にあった民家の蔵。大きさは3間×5間弱の15坪の2階建て。内部は総漆塗りというぜいたくな造りでしかも柱が1尺(30㎝)間隔に立ち、長さが9mもある巨大なケヤキ材の棟木が乗る構造にも驚きました。早速土地探しをO設計室が担当して見つけた土地が浄妙寺近くの閑静で日当たりの良い平坦地。取り付き道路は狭いものの移築には申し分の無い土地です。現在基本設計の段階で完成は来年夏を予定しています。 この蔵の魅力を十分引き出してしかも定年後の生活を豊かで刺激のあるものしたいという建主と我々のコラボレーションが始まったばかりです。今後再生の様々な場面でワークショップを実施することになっているのでご興味ある方はO設計室までどうぞ。